BOOK - INTRODUCTION

写真家的作品集 1986

カーティス、君から写真を撮って貰ってる時、とてもいい気分だった。そんなことはあまり ない。ボクはほとんどの日本人と同じくシャイだが、珍しく照れないで、カメラの前に立つことができた。

うまく言えないけど、優しい気分になれた。君の写真は、とても自然だ。  

こうゆう表現は失礼かもしれないけど、君にとって、カメラというメカも、写真を撮るという行為も、きっと、特別なことじゃないのだと思う。アイスクリームを食べたり、バスケットボールをしたり、ガールフレンドと静かなバーでビールを飲んだり、オートバイに乗ったり、そんな感じ。

それがもし事実なら、とても素晴らしいことだと思う。実を言うと、ボクもそういう風に小説を書きたいと思っているんだが、なかなか、難しい。

誰だって、苦しむために表現しているわけじゃないし、苦しんでいる人間を見たいとも思わないし、苦しむために生きているわけじゃない。そんなシンプルなことだけど、日本人は苦手だ。もちろんこの写真集もとてもステキだけど、ボクは、君が、例えばアジアやアフリカの子供達を撮った写真を見たい。子供達は、きっと、優しく、パワフルに、微笑んでいるだろう。グッド、ラック。

村上龍(作家)

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1980年から83年にかけて、ニューヨークと東京を頻繁に往復していた頃、ニューヨークで僕は自分の人生にかつてないほどののたくさんの人間に会った。その中に、カーティス・ナップというフォトグラファーがいた。今はもういないが、Soho Newsという週刊新聞で、カーティスの写真は見ていた。

その頃、僕は雑誌や新聞の中から好きな写真、気になる写真を切り抜いてはスクラップブックに貼り付ける作業に熱中していた。何故なら、その頃のニューヨークの時代の空気とでもいったようなものを知覚する手段として、ビジュアル体験が僕にとって最も有効だと思えたから、もちろん音楽と、そして見ること、見届けること、それがすべてだった。

視覚的なメディアの中で特にモ写真モに僕は魅せられていた。絵画より、映像より、写真は深いインパクトを持って僕に多くのことを語りかけたと思う。そのファイルされた切り抜きコレクションの中にカーティスの写真が何枚かあることを知ったのは、実はつい最近のことである。

東京の原宿の路上でバッタリとカーティス・ナップに再会し、彼が日本に移り住んで仕事をしていることを知った。東京でニューヨークの知人と会う機会はたまにあるが、そんな時、少しばかりの戸惑いを僕は覚える。その感じはどんな風に説明していいのかわからないのだが・・・・・ 東京ーニューヨーク、近くて遠い街、全てががあまりにも違う、その大きな落差をいちいちとりあげて指摘する気力は持ち合わせないが、大まかに表現すれば「空気が違う」というような抽象的な言い方になってしまう。

カーティス・ナップはその身体全体から、ニューヨーカーのバイブレーションを発散していた。ニューヨークの空気に一度でも染まった人間には、カーティス・ナップのチャーミングを容易に感じ取ることが出来るだろう。

僕がニューヨークで仕事をするようになってからは、ほとんどの仕事に関わるコンタクトは全て窓口になってくれるパートナーが引き受けていたので、たいしたトラブルも起こらずに、僕はひたすら制作に打ち込むことができたが、今、カーティスはニューヨークから東京に仕事のベースを移している。立場は同じでも、やっぱり状況が違うので、僕はちょっと気になる。東京→ニューヨークそして、ニューヨーク→東京、どう考えてもシチュエーションは大きく違うのだ。

彼は今、ポートレートを撮り続けている。人間に迫って、写し撮るという仕事は難しいことだろうと思う。何しろ生身同志のセッションになるからだ。カーティスのノリは一貫してニューヨーク的である。自然にリアクションする人もいれば、戸惑いを感じる人もまた、いるはずだ。そして時に、シチュエーションギャップに、彼自身が戸惑いを覚えるときもあると思う。

カーティスは、生き生きと、軽く、ジョークを飛ばしながら、彼自身のバイブレーションをストレートに発散しながら被写体と向き合う。だから、カーティス自身も写り込んでいるような気がする。本来ポートレート写真というものは、そういうものでなければならないのだと思う。

ペーター佐藤(イラストレーター)