BOOK - INTRODUCTION

CATWALK, Fashion Madels of Japan 1993

温度がヴィジュアルを作る - A.D コレマン

@何故私達は顔にマスクを作ろうとしているのだろうか?このへんで、身体の外観を隠す為のマスクではなく個性について考えてみよう。顔つきのみではなく、全身の、社会学者、アーヴ ィン・ゴフマンの言うところの"the presentation of self in everyday life"(日々の表現)だ。 人間の身体は複雑なコミュニケーション・テクノロジー(動力学)簡単に言うとモボディーラングレッジモをよく使う。

俳優、ファッションモデルは、何年にも及ぶトレーニングを積み、身体を使い表現をするコントロール術をマスターし、彼らの持つ全ての物を最大限に使ってレンズの前で表現する。その為に、目の動き一つでさえもこだわる。

ファションモデルが、服を脱ぎさり、ある意味、彼らのセーフティーネットから出た。そして、ボディーそのものがコスチュームであり、マスクになった。カーティスのカメラの前でヌード・ポーズをとることを決めた日本人モデル達は、単に、衣服を脱いだだけではなく、彼女らのモラル、同時に、女性達のタブーとされてる、ヘアーヌードに対する日本の文化的は偏見も脱ぎさったのである。背景には彼女達の深い男女同権主義を求める意志がある。

とても興味をそそわれたのは、彼女達が、男性、それも日本人カメラマンではなく、アメリカ人を選んだことだ。もしかすると、日本人カメラマンの前では、彼女達を抑制していたものを全て脱ぎ取ることが出来なかったのかもしれない。もしくは、カーティスを抑制していたものが、彼女達を開放の道へ導いたのかもしれない。どれにしろ、西洋人のカーティス・ナップが、彼女達自身で女性とは、個性とは、しなやかさとは、強さとは、これら日本人女性達のリベレーションを見つける手助になったことは間違えないだろう。

カーティスのヴィジュアル構造は、エレガンス、ポーズ、クラッシック・バランスなどは、今までのヌード写真とは多々異なる。例えば、顔も身体の一部として写し、誰だかわからない身体中心だったヌード写真とは違う。又、光の反射はあるが、赤外線フィルムを使うことにより、身体の温もりを感じることが出来る写真だ。彼が与えてくれたものは、隠喩ではなくて正確なヴィジュアル、そして、外観だけではなく、マスクの下にあるエゴ、肌の下にあるエナジーである。