BOOK - INTRODUCTION

フォトポートレイト 1998

共通の友人を介してカーティス・ナップを紹介されたのはLAのホテルバーだった。最初はでしゃばりで不安定な、嫌な奴だと思った。でもそれから3回ほど同じホテルのバーで出くわしてからは、最初の印象とは裏腹に、繊細で才能を持った男だということが分かってきた。それ以来親しくなったんだ。

カーティスの作品、つまり写真を最初に見たのは、日本人女性をモデルにしたヌード写真集「CATWALK」だ。俺に言わせりゃ、霊感に打たれたような本だ。もちろん、その場で奴から一冊せしめたよ。

そのときにあいつから、今回のポートレイトの本を進めている話を聞いて、参加してくれないかと誘われた。で、ヌード写真集があまりにかっこよかったんで、OKしたのさ。

スタジオに行くと、カーティスは取り終えた他のポートレイトを見せてくれた。間違いなく、ここしばらくの間に見た中で最高の写真だ。

とにかくそれから俺らはフォトセッションをやり、酔っ払い、ファッキング・グットタイムを過ごした。俺のクールな写真もそのついでに何枚か生まれた。

最後に一言。この本はきっと、見る者の五感を悦ばす最高のモ食事モとなるだろう。

スラッシュ

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肖像写真は(距離)である

それは、物理的な時間や空間でありながら、写真家が創造する(距離)でもある。

カーティス・ナップ氏との再会は、3年間という時間の距離を隔てた、突然のことであった。

彼は母国を離れ、そして日本に住まいながら多勢のコスモポリタンを被写体として、肖像写真 をとりつづけている。その行為は、まさしく(距離)の意識なのであろう。

肖像写真における撮者と被写体の関係は、親密でありながら、そこには時間とも、そして空間とも、無縁な、不可思議でありながら魅力的な(距離)が存在するように思える。

彼が写真として生み出す時間や、空間の距離感を超越した、いわば(間)を、殊更にこの肖像写真群に意識させられれる。

植田正二

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ヴィジュアル言語

言語が出来きるもっと昔、ヴィジュアルイメージは世界共通のコミュニケーション手段だった。私達は、現在も色々なコミュニケーション手段をを学んでいる。カーティス・ナップは、口語、手記伝達手段を使わずに、私達の脳にヴジュアルを残す方法を使う。彼の手段はカメラだ。カメラがこの世に出現してから人間の最も大切な伝達手段の一つなったた。カーティスは、イメージや顔を知らなかった物も、ヴィジュアルな伝記として我々に伝える。彼は、何枚も、今世紀を代表とする写真を残すことだろう。彼もまた、私達の世代、そして、未来の伝承物として残すことを熱望している。

カーティスは、コンピューターも使いこなし、新しい分野も開拓している。この、エレクトロニックを彼がどのように使っていくのかとても楽しみだ。何故なら、彼の想像力は閉じることがなく、彼が出会った人の興味までも、常に吸収し続ける。

彼は、頭では理解しきれないメッソドで、モデルへアプローチをし、イメージどうりの写真を撮る。アイ・コントクトが凄い。これらは、他のカメラマンの写真とはまったく異なる点である。写真から、モデルが本当はどうゆう人なのか、読み取ることが出来る。気づくと思うが、計算尽くされた奥行きのある白黒写真は、下手なカラー写真よりも味がある。間違いなく、彼が以前ペインティングを学んでいたことが役に立っているだろう。私達は新世紀に突入し、世の中の発展も目覚しく早く進化している中、カーティス写真は、安心感を与えてくれる。この先何枚の彼の写真が世に残るか今は言えないが、逆にモ無限大モとも言えるだろう。カーティス・ナップは、そのことを彼のアートと写真で示してくれることだろう。それ以上の、功績はないだろう。

ジョン C. リイリー M.D